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熊本地方裁判所 昭和47年(ワ)7号 判決

原告 久木田孝治

右訴訟代理人弁護士 青木幸男

同 矢野博邦

被告 熊本市

右代表者市長 星子敏雄

右訴訟代理人弁護士 本田正敏

被告 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 大歯泰文

〈ほか二名〉

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは原告に対し、各自金三二三万円とこれに対する昭和四七年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告ら

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  熊本市長は、昭和四二年四月二〇日熊本県川尻警察署長に対し、要旨左記の事実により、原告を道路法違反の罪名で職務上告訴した。

(一) 原告は、昭和三八年、熊本市八幡町三九〇―二番地先の熊本市道を、道路管理者の許可なく、地元農区長の承諾のみで宅地として埋立て、コンクリート舗装をする等して不法占拠した。

(二) 原告は、昭和四一年一〇月末、熊本市八幡町三九〇―一番地先熊本市道を、埋立てる等して損壊した。

2  しかして、右告訴に基づき、かつ告訴人である熊本市長の提出した意見及び資料に基づき、これらを利用しながら、熊本区検察庁検察官は、熊本簡易裁判所に対し、昭和四一年七月三一日左記(一)の公訴事実により、さらに同年一〇月八日左記(二)の公訴事実により、いずれも道路法違反の罪名で、原告をそれぞれ在宅のまま起訴した。なお、同裁判所は、昭和四六年九月三〇日原告に対して無罪の判決を言渡し、同判決は、検察官の控訴の申立がなく確定した。

(一) 被告人(原告)は、昭和四〇年三月頃から昭和四二年五月中旬頃迄の間、熊本市八幡町字北村脇三九〇―二番地、同九四一―七番地、同三九一―一番地先北村脇壱丁畑線熊本市道六六・五メートルの区間中北方より約四一メートルの市道上に、土砂を埋立て、コンクリート舗装を施し、道路入口にブロック塀を構築する等して、みだりに道路を損傷し、道路の構造又は交通に支障を及ぼすおそれのある行為をなしたものである。

(二) 被告人(原告)は、

(1) 昭和四一年一一月下旬頃、熊本市八幡町字北村脇三九一―一番地、同九四一―七番地先北村脇壱丁畑線熊本市道上約二五メートルの間にグリ石、土砂等を堆積し、右路上の一部に有刺鉄線を張り、南側入口附近にブロック塀を構築する等して、みだりに道路を損傷し、道路の構造又は交通に支障を及ぼすおそれのある行為をなし、

(2) 昭和四〇年三月頃並びに昭和四一年一一月下旬頃から昭和四二年二月下旬頃迄の間、熊本市八幡町字北村脇三九〇―二番地、同九四一―七番地、同三九一―一番地先北村脇壱丁畑線熊本市道上約六六・五メートルの間に於て、道路法第四三条、第九九条に定める道路に関する禁止行為をなしたため、熊本市の道路管理者熊本市長石坂繁から、昭和四二年二月二八日附市土第四〇五号を以て、昭和四二年三月三一日迄の間に道路を原状に回復することを命ぜられながら、これに従わなかったものである。

3  しかしながら、熊本市長の右告訴及び熊本区検察庁検察官の右各公訴提起には、いずれも、次のとおり道路法上の道路に該当しない単なる私有地部分を道路とした違法がある。

(一) 右告訴あるいは公訴提起にかかる熊本市八幡町字北村脇三九〇―二番地、同所三九一―一番地、同町字北の前九四一―七番地各先「北村脇壱丁畑線熊本市道(以下「本件市道」という。)」と称される部分(以下、「本件土地部分」という。)は、被告熊本市に合併される昭和一五年一一月二五日以前の旧熊本県飽託郡力合村時代から一般交通の用に供する道路としての構造、形態を備えていない、幅員約一尺八寸程度の寄合道かあるいは畦畔であったに過ぎず、しかも、時が経過するにつれて畦畔としての形態さえ失うに至り、その上、旧道路法下において路線の認定、道路の区域の決定等道路としての成立要件たる一連の手続は全く行われたことのない、単なる私有地であった。従って、本件土地部分は、現行道路法が施行された昭和二七年一二月五日当時、旧道路法による熊本市の市道としては現存していなかったので、道路法施行法三条によって路線の認定等の手続を経ずに熊本市の市道とみなされることはない。

(二) その後、前記告訴及び各起訴内容にかかる各年月日当時に至るまでの間も、本件土地部分につき、路線の認定、道路の区域の決定等道路としての成立要件たる一連の手続は、全く行われていない。

(三) かりに、本件土地部分につき、昭和三七年三月一二日熊本市長によって路線の認定が、同月三〇日被告熊本市によって道路の区域の決定及び供用の開始が、それぞれなされたとしても、右各手続行為は、次のとおりいずれも重大かつ明白な瑕疵を有して無効であるから、本件土地部分は、結局道路法上の市道として成立していない。

(1) 路線の認定について

熊本市長は、路線の認定をするにあたり、現地調査も行わず、市道となし得る土地部分がそもそも存在するか否かについてさえ、全く把握せず、形ばかりの手続を行ったのに過ぎない。

(2) 区域の決定について

被告熊本市は、道路の区域の決定において、本件土地部分につき、本件市道の延長、幅員、範囲等を何ら明らかにせず、区域の決定が現実に行なわれたものとはいえない。

(3) 供用の開始について

被告熊本市は、道路の供用を開始するための前提として、道路区域内の敷地につき所有権その他の権限を取得する必要があるにもかかわらず、本件土地部分につき何らこれらの権限を取得していないばかりでなく、前記(一)のとおり、本件土地部分は、そもそも道路としての構造、形態を有していなかったのであるから、供用開始が行われたとはいえない。

4  前記3のとおり、熊本市長の告訴及び熊本区検察庁検察官の各公訴提起はいずれも違法であるところ、被告らは、左のとおりの不行法為責任があり、両者が相協力して公訴維持に努めたものであるから、共同不法行為者として、原告に対し連帯して損害賠償をなす義務がある。

(一) 右熊本市長が前記3の諸点を十分調査、検討していれば、本件土地部分が道路法上の道路に該当しないことを容易に知り得たにもかかわらず、これを怠って原告を告訴したことには、明らかに過失がある。

したがって、被告熊本市は原告に対し、原告の被った後記損害を賠償する義務がある。

(二) また、右検察官も、右諸点を調査、検討し、十分捜査を尽して起訴、不起訴を決すべき義務を怠り、現場の実況見分すら行うことなく、安易に右告訴に基づいて原告を起訴したのであるから、明らかに過失がある。

したがって、被告国は原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、原告の被った損害を賠償する義務がある。

《以下事実省略》

理由

一  熊本市長が原告を道路法違反の罪名で告訴(実質上は告発)したこと、右告訴に基づき、熊本区検察庁検察官が原告を右罪名で起訴したこと及び熊本簡易裁判所が昭和四六年九月三〇日原告に対して無罪の判決を言渡し、同判決は検察官の控訴なく確定したことなど、請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  まず、右告訴、公訴提起及び無罪判決に至った経過を見るに、《証拠省略》によれば、原告は、昭和三〇年頃熊本市八幡町字北村脇三九〇番の二宅地約二一二平方メートルを他から買受け、地上に居宅兼事務所を建築して海苔食品営業を営み、同三三年二月には訴外女王海苔食品株式会社(以下「訴外会社」という。)を設立して自ら代表者となり、同三九年頃になって事業拡大のため右宅地の西及び西南に続く同市同町字北の前九四一番の七畑約六七一平方メートルを訴外田辺重雄から訴外会社名義で買受けて工場兼倉庫を建築することとしたのであるが、右土地買入れに当って、売主田辺及び地元の農区長立会いのうえ右土地の測量をしたところ、農区長持参の字図から、北村脇三九〇番の二と北の前九四一番の七の間を南北に通じている畦畔状の通路(本件土地部分に当る)が幅員一間(一・八メートル)の市道となっていることがわかり、その部分を除いて測量図を作成したこと、その結果、原告及び訴外会社は右部分を挾んで事業用の土地を所有することになり、更には昭和四〇年春頃訴外会社が北村脇三九〇番の二に南接する同三九一番の一畑約三〇八平方メートルを事業用敷地とするために他から買受けたことにより、本件土地部分が全敷地を南北に縦断する形となって、事業執行に不便なことから、原告は、右三九一番の一の土地買入れの前後頃、独断で、右土地部分の上に日覆いのための鉄骨を建築したり、右部分を土砂で埋立てたり、コンクリート舗装をしたり、北端の県道に接する部分の入口に、右部分を横切って高さ約八〇センチメートルのブロック塀を構築したりしたが、その頃地元農区長や地域住民の反対に会い、間もなく右鉄骨のみ除去したこと、そのような不便をかこっているうち、原告は昭和四一年六月頃熊本市建設局土木部土木課担当官の行政指導を受けて道路付替申請手続を経ることにより本件土地部分の利用が法的に可能となることを計画し、同年九月六日訴外会社名で道路付替変更及び敷地交換(原告所有の北村脇三九〇番の四及び訴外会社所有の同三九一番の三と本件土地部分との交換)のための実測をする目的で熊本市長に道路境界立会願を提出し、同月二一日及び同年一二月三日の二回にわたって熊本市土木課係官、原告、地元農区長ら立会いの上、本件土地部分を幅員一・八メートルの市道として原告及び訴外会社所有地との境界を定めたこと、ところが、そのような手続を進行させているにも拘らず、道路付替について近隣の一部住民の同意が得られないこと(従前どおり本件土地部分を通路とした方がよいという意見)から、右道路付替の実現が不可能となり、原告は、右反対住民に対する対抗手段として、同年一一月下旬頃本件土地部分のうち南側部分に有刺鉄線を張ったり、ブロック塀を築いたりして、事実上本件土地部分を通行できないようにしてしまったこと、そのため、原告は熊本市長から、昭和四二年二月二八日付で、同年三月末日までに道路を原状に回復するよう道路法七一条に基づく命令を受けたのに、これに従わなかったこと、そのようなことがあって、付近住民から苦情を受けていた熊本市長は、原告の行為が道路法に違反するとして、同年四月二〇日本件告訴に踏み切ったのであるが、警察から現地の実況見分を受けたり、取調べを受けたりした原告は、素直に自己の非を認め、同年五月中旬にはブロック塀等も撤去し(但し、全長六六・五メートルの本件土地部分中四一・五メートルの舗装部分はそのまま)、市道とされる部分を表示することにより市長側と原告との間に、原状回復につき一応の話合いがついたこと、熊本県川尻警察署長は昭和四二年五月二五日熊本地方検察庁検事正に対し、本件告訴にかかる事実及び前記原状回復命令違反の事実について、いずれも道路法違反として事件を送付したが、これに添付された書類は、司法警察員作成の事件報告書、実況見分調書、原告の通路妨害行為を非難する近隣住民、地元農区長及び原告の各供述調書、熊本市長の告訴状、熊本市建設局土木部土木課管理係長と技師作成の顛末書、原告の身上調査照会書であり、右告訴状には更に、担当官作成の告訴にかかる事実の経過一覧表、熊本市議会議長作成の市道認定議決証明書、実測平面図、一筆限字全図、前記道路境界立合願写、現場写真六葉が添付されていて、右各書類による限り、事件の状況は前記事実関係のとおりであり、右送付事件担当の熊本区検察庁検察官が同年七月一九日原告を取調べた際にも、原告は全面的に自白して改悛の情を表明し、略式手続によることに異議ない旨申述し、本件土地部分が市道か否かの疑いを入れる事情になかったことから、右検察官は同年七月三一日前記のとおり請求原因2(一)の事実により公訴を提起して、略式命令を請求し、これを受けて熊本簡易裁判所が略式命令を発したところ、原告から正式裁判の請求がなされたこと、そこで検察官は、原告の真意を計りかねながらも、更に付近住民、熊本市土木課担当官等数名の取調べを行って供述調書を作成した上、同年一〇月一八日前記のとおり請求原因2(二)の各公訴事実につき追起訴したところ、同年一二月一四日の公判期日(追起訴の事件については第一回公判期日)に弁護人と共に出頭した原告は、原告が公訴事実どおり工事等をなし、原状回復命令に従わなかったことは認めるが、この日初めて、本件土地部分が原告の所有地であり、仮りにそうでないとしても道路を形成していなかったと陳述して、本件土地部分が道路法上の道路であることを争う旨明らかにしたことから、公判手続における検察官と弁護人の立証活動は専らこの点に終始し、四年間近くにわたり、二二回の公判を重ねて、検察官は、新たに発見された熊本市と合併前の旧力合村の道路台帳等多数の証拠物、証拠書類及び証人等の取調べを求めて立証活動を行ったけれども、裁判所の容れるところとならず、熊本簡易裁判所は、本件市道はその区域の決定、工事の施行について瑕疵があり、道路敷地についての権限の取得を認めるに足る証拠もないから、熊本市道として成立したものとは認め難く、犯罪の証明が不十分であるとして、原告に対し無罪の判決を宣告したこと、以上の事実が認められる。

《証拠判断省略》

三  してみると、被告らの責任が発生するための要件としては、本件土地部分が本件告訴及び各起訴にかかる事実の日時頃道路法上の道路でなく、且つ右告訴及び公訴提起が合理性に欠けると認められること、熊本市長及び前記検察官がそのことを知り又は知り得べきであったのに、敢えて告訴及び公訴提起を行ったと認められることが必要であって、前者が行為の違法性の内容になるのであり、後者が故意又は過失の内容となるわけである。

(一)  そこで進んで、本件土地部分が、現行道路法施行の際、旧道路法の規定による熊本市の市道として形式上において成立していたか否かについて判断する。

《証拠省略》によれば、昭和一五年一二月一日熊本市に合併された熊本県飽託郡力合村に保管され、合併後被告熊本市に引継がれた、旧道路法の規定による道路台帳中に、「路線名藪下道、起点三八一(番)ヨリ、終点四〇七(番)ニ至ル、経過地北村脇ノ西界ニ通ズ」なる村道の記載があり、本件土地部分の東側端に沿う原告所有の北村脇三九〇番の二及び訴外会社所有の同三九一番の一の各字地番及び字図と対比すれば、本件土地部分が路線名藪下道なる右村道に当ること、昭和三六年六月一〇日建設省道路局長から都道府県知事宛の「市町村の合併に伴う市町村道の路線の認定等取扱いについて」なる通達により、「市町村の合併を行った場合においては、合併前における道路の路線の認定の効果が当該道路の管理事務とともに、合併後の市町村に承継されるものと解されるので、合併後の市町村長において改めて路線の認定その他路線の認定に伴う手続は行う必要はない」との行政解釈が一般に行われ、旧力合村が熊本市に合併されたのに伴い、右村道についても路線の認定の効果が熊本市に承継されその市道となったものと解されること、その後現行道路法施行(昭和二七年一二月五日)の際に、同法施行法三条によって、右市道も新法における市道とみなされることとなったことが認められる。

甲第二五号証及び同第三三号証中の本件土地部分が旧力合村の村道ではなかったとの点及び本件土地部分は昭和六、七年頃に内務大臣によって国から個人に対する不用地払下の対象とされ、熊本市との合併の際にその関係書類も引継がれたとする点は、いずれも前掲各証拠に照らしてにわかに措信できず、その他右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実により、結局、本件土地部分は、現行道路法施行後も、形式的には熊本市の市道であるということができたものである。

(二)  一方、《証拠省略》によれば、熊本市長は、昭和三七年三月ごろ一括して市道の路線廃止と同時に新たな開設手続を行ったが、同月一二日本件土地部分を含む路線についても、市道として市議会の議決を得たうえ路線の認定をして告示し、同月三〇日「路線名北村脇壱町畑線、起点八幡町北村脇三九〇の二番地先、終点八幡町壱町畑四三七の一番地先、重要な経過地同町北村脇四〇七の一、同町壱町畑四二四の二」とし、「幅員一・八メートル、延長三九二・五メートル」との区域決定と共に供用開始の各告示をなし、一般の縦覧に供したこと、右の手続は、これまで一般交通の用に供されている道路で不明確な点を解消し、道路台帳を整備することをねらいとしてなしたもので、その結果、熊本市道は路線数合計約五四六〇本、延長約一四三六キロメートルとなったこと、右区域の決定の際は、当時法務局に備え付けられていた字図による道路を航空写真によって作成した三〇〇〇分の一の地図に道路部分を転写し、現地を調査のうえ決定する方法をとったが、本件土地部分についても、字図等を参考としながら、担当調査員において調査したこととなっているものの、具体的にはどのような調査をなしたかについては不明であること、実地調査の方法としては、認定しようとする道路が現に通行の用に供されていて存在しているかどうか、当該道路の現実の平均幅員はどれほどかを、字図等に表示されている道路幅員と比較しながら調査したり、当該道路の隣接地所有者を立合わせるなどして、実測のうえその境界を確定すること迄はしていないこと、認定した市道の管理は、狭い農村地域で専ら農耕用に使用されている道路については、実情にあわせてその利用者に任せていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  右のとおり、本件土地部分は、前記(一)において判示したように熊本市の市道と認めることができたのにもかかわらず、不明確であるとして廃道処分にして、昭和三七年に至り新たに市道の開設手続をなしているのであるが、不明確な点が果して明確になり得たか、疑問点が少くないのである。

思うに、現行道路法が、交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進することを目的として制定され、公物たる道路が成立すると、道路等を構成する敷地等については、原則として、私権を行使することができないもの(道路法四条)として、公用制限を課し、その目的を阻害する行為を禁止して罰則を設け(同九九条以下)、道路管理者に一般市民に対する監督処分権を与えている(同七一条一項)ことに鑑み、区域の決定及び道路を成立させる行政行為たる供用開始行為は、右公用制限等の実効を期しうる程度に具体的、現実的でなければならず、道路の維持管理は右目的に応えるものでなければならない。

右の見地から、本件市道の開設手続を見るに、市道の維持管理が充分行われているとはいえない状態で、不明確な点を解消する目的に出ながら、路線数、延長距離の厖大なことを理由に、当該部分の道路としての形態を現実に調査することなく、単に古い字図上に認められる幅員及び延長を安易に移記したのに過ぎない疑いがもたれるのである。

そうだとすれば、古くから村道、市道が存在したといっても、その路線を一旦廃止し、新たな開設手続を経た以上、その時点において道路の形態を全く失い、道路としての効用がなくなっているときは、当該供用開始の公示は重大かつ明白な瑕疵ある行政行為として無効といわねばならず、そうでない場合でも、その後道路としての形態、機能を全く失い、道路として維持すべき理由がなくなった場合には、公物たる性質を失い、黙示的に路線は廃止されたものと解すべきであるが、たとえ一部であっても、道路としての形態をとどめ、現実に一般の交通の用に供されている場合は、その限度において供用開始行為は有効であると認める余地がある。

なお、本件土地部分が古くからの里道で、村道、市道となっても現在なお国有地(普通財産である国有財産)であることは、さきに認定した事実関係(道路の沿革)から窺うことができ、熊本市が道路法九〇条二項による権原の取得をしたことを認めるに足る証拠はないのであるが、それは私人の私物とは異なり、公有財産として公の目的に供するねらいを持つものであるから、右権原取得の手続が未了であるからといって、当然に供用開始の無効をもたらすものではないと解する。まして、何らの権利関係のない第三者たる一般市民が、そのゆえをもって道路の不成立を主張することなどできるものではない。

(四)  そこで、本件土地部分が、昭和三七年三月三〇日の前記供用開始告示の際並びに本件告訴及び公訴提起にかかる事実の年月頃、現実に道路としての形態を備えていたか否かについて判断する。

《証拠省略》を総合すると、本件土地部分は、戦前から農道状をなし、昭和二一年頃にも二尺ないし三尺位の幅員で、牛馬をひいて通行の用に供され、昭和三五、六年頃には肥桶を耕作地へ運ぶ者もあり、昭和三七年頃には耕運機の通行の用にも供されていたこと、原告が前記北村脇三九〇番の二の土地を購入して住家兼事務所を建てた昭和三〇年頃は、その西方の九四一番の七の土地は畠地で、右購入土地は荒地であり、その間には一尺余りの現実に通行人の通った形跡が認められる道があったこと、昭和三九年頃に原告が右九四一番の七の土地を購入した当時は、前記のとおり、字図等を参考として、一間幅の市道のあることを確認したうえ測量がなされたこと、その後に前記のとおり本件土地部分にコンクリート舗装を施し、通路入口にブロック塀を構築する等をしたこと、原告は昭和四一年六月以降道路付替申請手続の準備をしたが、これは原告方を一般通行人から見透かされて具合が悪く、通行人も訴外会社の両側の建物の間を気がねしながら通る状態でもあったことから、その回避も兼ねて準備したものであることが、それぞれ認められ、原告本人の供述及び甲第五〇号証中に本件土地部分は道路状になく溝みたいであったとの点及び原告が右各土地を購入した当時には本件土地部分を通行に利用する者はいなかったとの点は、前掲各証拠に照らして措信できず、その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(五)  以上の事実関係から判断すれば、前記供用開始行為の当時並びに本件告訴及び公訴提起にかかる事実の年月頃、本件土地部分は、幅員が約二尺(約六〇センチメートル)ないし三尺(約九一センチメートル)に狭められていたとはいえ、現実に道路としての形態を有し、一般公衆の交通の用に供されていたものと認めることができる。

四  してみると、さきに説示たとしころから、本件市道の前記供用開始行為は、右道路状態の限度で有効と認める余地があり、二において判示した事実関係に照らせば、熊本市長のなした本件告訴及び熊本区検察庁検察官のなした各公訴提起は、厳密にいえば「道路」の理解において若干不充分な点があったとしても、全体として見れば、いずれもそれが合理性に欠け違法であるとは到底認めることができない。

よって、その余の判断をするまでもなく原告の請求をいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀口武彦 裁判官 玉城征駟郎 佐伯光信)

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